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2015年6月7日日曜日

『虹のように消えていくきょうも 午前0時で明日につながっている。』 〜山田かまちに会いに群馬へ〜

なんとなく群馬へ
まずは群馬のソウルフード焼きまんじゅうを


思っていた餅のような食感ではなくパン生地のようなふかふか生地
ちょっと期待しすぎた感もあるけれど、ソウルフードはやっぱり親しんだ地元民にしかわからない郷愁の味なんだろうなと
甘辛い味噌がとても甘い



お昼ごはんは群馬といえばパスタ!とのことらしく(ケンミンショーより(^^ゞ)
地元で有名なシャンゴというパスタ屋さんに



シャンゴスペシャル‥だったかな
濃い色をしたドミグラスミートソースパスタにカツがのってる〜
ソースがとにかく甘くてちょっと閉口したけれど美味しかった!
群馬県民は甘党なのかな



高崎近くを通ったので二十年ぶりに山田かまち美術館に行ってみた
ここは…私のスタンド・バイ・ミーな場所なんだ(笑)

高校三年の夏、行ってきますと朝家を出て長野駅に向かい高崎行きの新幹線に衝動的に乗った
バイト代が入って今なら行けると思った
山田かまちに会いに

サラリーマンばかりの車内でひとり制服姿の私はポッキーを食べながら
かまちの絵画集で見た絵や詩を反すうしながら向かった
ドキドキしていた
高崎駅に着いてかまち美術館へ歩き出したが、あるけどあるけどなかなか遠い
絵画集の最後にあった美術館へのアクセスマップはあまりに簡易的でとても近くにあるように記されていたが実はとても遠かったのだ

こんなに遠いものかと途中、橋の上で疲れてだらだらと歩いていると向かいから
自転車にふたり乗りした男子高校生がやってきた
私はそのふたりに美術館をたずねてみた
聞けばそのふたりははかまちと同じ高崎高校の生徒で授業をさぼってきたところだった
同じく長野から授業をさぼってここまできた私に驚くふたりは美術館へ連れていってくれると言う
そうして自転車の後ろに乗っていたひとりを降ろすと、私を乗せて美術館まで連れて行ってくれた
なんだかかまちの自転車に乗せてもらっているような錯覚がしたな‥でも何故だか名前も聞かず、顔も全く覚えていない‥

美術館に着くと彼はじゃあねと笑って行ってしまった
あの時私はちゃんとありがとうと言えていたかもわからない
何しろ当時の私はとても生意気でバカで無礼者だったのだ

美術館に入ると絵画集で見たかまちの絵が、本物の絵が何枚もそこにあった
殴り書かれた詩も沢山あった
同じ年の頃の私は感動に震えて涙が止まらなかったのを覚えている

そして感動を胸いっぱいに家へ帰ると
玄関で母親が怒りの形相で仁王立ちして待ち構えていた
まるで漫画のようだった
どうやら学校から連絡があり、私がどこにもいないと騒ぎになっていた様子

翌日気不味く職員室へ行くと、担任は呆れて笑いながら言った
「よく行ってきたな!」



私にはロック魂がないのだけれど、彼のこの詩は好きだ

「クラシックも好きだが、ぼくに強さというものを与えてくれない
 クラシックは美しいティカップ
 フォークは煮え切らない遊び
 歌謡曲は商品そのもの
 ぼくを生きさせてくれる音楽はロックしかない

 ロックだけがぼくに生きる勇気を情熱を与えてくれる」

情熱的で情緒的な彼の絵と詩をまえにして
17歳でギターを弾きながら感電死したドラマチックすぎる彼の死を
改めてとても残念に想った
彼の死から約40年、そこには生き生きとしたエネルギーにあふれた作品があった

私は母親になってまたここを訪れ、かまちの母親についての作文に涙した
そしてまた忘れかけていたあの頃の生意気でバカで無礼者で
何かを必死で探していたあの頃の自分の感情が蘇った

これから子育てをしていくうえで忘れてはいけない感情だと想った

群馬に来てよかった

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